『平成の文学とはなんだったのか』重里徹也✕助川幸逸郎/激動の時代の作家たち

 

ツイッターで流れてきた本書のタイトルに妙に引っかかるものがあり、しばらく考えてしまいました。「平成の文学とはなんだったのか ー激流と無情を越えてー」

「平成」ってなんだったんだろう。なんかいつの間にか終わってたけど。軽い気持ちで時代と自分の人生を振り返り始めると、懐かしかったり、赤面したり、怖くなったり。

「文学」についてはごく数年前から読み始めたビギナーで、しかも読んでいるのはここ10年の作品がほとんど。つまり平成初期~中期の作品はすっぽり抜けている。著者のお二人はどうやら文学のスペシャリストらしい。

そんなわけで、これからもっとたくさん読んでいきたいと考えている私にはうってつけのガイドブックでした。

 

感想

ほんとうの意味での「平成」は1995年以降から

一口に平成といっても30年もある。平成初期の記憶はあまりないけれど、まだバブルの勢いが残っていたのではと想像します。90年代はゲームや音楽やファッションなどが華やかだったし、2000年代、2010年代は…リーマンショックや度重なる災害など、不穏な空気が流れていた。

作家は時代の空気を鋭く捉えて作品にする。初期と後期でこれほど違う時代の文学について、一緒くたに考察することは難しいのでは?と思っていたのですが、本書の中で、助川氏と重里氏は以下のように述べています。

助川:

九五年以降が、ほんとうの意味での平成だと私は感じています。その「真の変わり目」の時期に、純文学の書き手にも「世代交代」があったということでしょうか。

重里:

(前略)文学は時代の潮流にすぐには反応せず、世の中の動きをしっかり咀嚼してから取り込んでいく。九五年以降の社会の変化をつかまえた小説は、しばらくして表舞台に出てきたという印象です。このころになってようやく、小説は「平成」を消化できるようになった。

 

1995年と言えば、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが立て続けに起き、日本が戦々恐々としていた印象があります。一方で、音楽業界では小室哲哉がブイブイ言わせていたり、コギャルブームで街中にはルーズソックスやマンバが横行していたり、若者文化は活気づいていた印象。

不安はあるけどそれとこれとは話が別で、若い世代は独自の文化を作り上げて異様に盛り上がっている。そのアンバランスさはたしかに平成の象徴と言えそうです。そしてその様子が顕著だったのが1995年というわけか。ふむふむ。

そういった世相を敏感にキャッチしつつも、どう転ぶのか冷静に見守り、徐々に作品に昇華させてきた作家たちが平成の代表格というのも頷けます。

 

しかし、ここ数年の音楽やファッションにおいても90年代後半のリバイバルが盛んなのは、振り返ってみても魅力的なカルチャーだったということなんでしょうね。

 

地方で暮らすことで今の日本が見えてくる

これは本書の中で最も胸に落ちたテーマでした。長年、東京出身者とのコミュニケーションに苦戦することが多く悩んできましたが、見ている景色が全然ちがったんだと、すごく個人的な部分で納得してしまいました。

当事者として問題のさなかにいると、問題の核よりもかえって小さなポイントにとらわれがちになる。けれど、少し離れて傍観してみれば自分と問題とを切り離すことができ、冷静な分析もできる。そんな図解が浮かびました。

実際に、大成している作家の多くは地方出身者であったり、売れっ子になってからも地方で暮らしていたりするのは、”個”を描くためには、地方から眺めたほうが都合がいいからではないか、というのが本書の考察でした。

その部分がこちら。

重里:

(前略)「自分の身体感覚に刻まれたものを、等身大の人物に託して描く」タイプの作家は、地方のほうが書くべきものをとらえやすいのかもしれません。

それから、現代の日本が抱えているいろいろな問題が、地方のほうが都会より見えやすいということもあるでしょうね。

 

助川:

(前略)平成後期になって、良きにつけ悪しきにつけ、多くの人が「自分ひとりの力でやれること」の限界をつよく意識しはじめています。そうした状況下では、「代官山のイタリアンレストランにポルシェで乗りつける」みたいなシーンより、じぶんの身のまわりの風景を通して見えてくるものを描くほうが、共感をあつめやすいのではないでしょうか。

 

恐れ多くも、作家が地方で暮らすことの理由をもうひとつ挙げるとすれば、「精神的なゆとり」はあると思います。東京って田舎に比べて時間の流れが確実に早いから。上京したばかりのころ、1日が3時間くらいに感じましたもん。小説を書くような創造的な作業は、時間の流れがゆっくりな地方のほうが捗るのかもしれません。

 

最近好きになった絲山秋子さんの作品については、以下のように語られています。

助川:

(前略)そういえば、絲山秋子は私より一歳上で、バブル世代です。なのに、最新作の『夢も見ずに眠った。』もそうですが、就職氷河期世代の、八◯年代前半ぐらいに生まれた、あまり冴えない人物に焦点をあてる傾向があります。キラキラした消費なんか、最初から夢みることもできない主人公をえがくことで、就職氷河期世代や、さらに若い二十代の読者から共感をあつめているわけです。

 

そうそうそう、だから惹かれるわけです!

80年代生まれは「プレッシャー世代」と呼ばれるそうです。同世代の友人を見ても、あまり大きな成功や名誉には興味がなくて、自分のやるべきことはちゃんとやって、ささやかな日常がずっと続くことを望む人間が多いように思います。でもそういう人って、ギラギラした上の世代や、面倒くさいことは極力したくない下の世代の格好のターゲットで、手柄を横取りされたり精神的に潰れてしまったりといった不遇さがあります。だけどそういう穏便で謙虚な自分たちの世代が実はいちばん好き♡だったりもするのです。

私が書くと、なんかやな奴らみたいになってしまうな。悩めるプレッシャー世代たちに叱られそう。

 

まとめ

私は前述したとおり文芸初心者なので、本書に出てくる作品の1割も読めていないふつつかものなのですが、作品のエッセンスを作者や時代に焦点を当てて解説してくれるこちらの一冊は、本選びの参考に度々開くことになりそうです。対談形式というのもかしこまらなくてよかった。

実はこれまで平成という時代があまり好きではありませんでした。ついていけなかった、というのが正しいかもしれません。

恐ろしい出来事が頻繁に起こっているのに、テレビでは女子高生が「制服は無敵の鎧」とか言っちゃってたり、これだけ災害が立て続いているのに会社は休みにならないし、地獄がすぐそこまで迫っているのに浮わついている感じがなんとも不気味でした。

長年、そんな世間と馴染めないひねくれものの自分に対しても疑問を感じていましたが、私が田舎出身者だからなんだ、と結びつけられたのは大きな収穫でした。(もちろん他にも理由はある。)きっと本書の狙いとは大きく反れた感想でしょうが、これだけでも大満足でした。